推しがいる生活もはや人生
___推しのいる生活について話したい
電車のレールを見ると、肉体が車輪とレールの間に挟み込まれる感覚を想像する朝
特に緊張しているわけではないが、震えが止まらない手を必死で抑え込む昼過ぎ
ただただ涙と負の感情が滝のように流れ落ちる夜
を過ごしている。
きっと、私以上に"辛い"日々を送っている人も沢山いる。その日々に終わりを告げる人だって、毎日どこかにいる。
人生なんて、世の中なんて、どうしようもないことばかりだけど、少しでも楽しく生切れるようにする権利は皆平等にある。
その楽しみを"推し"を作ることで見いだせるのではないかと私は思う。少なくとも、私はそうして今生かされている。
_______________事故に巻き込まれたときに、子供の顔奥さんの顔が浮かんできて、最後の力を振り絞れた_______________
なんて話があるだろう。そういう事だ。
自分以外の本当に大切にしたい・会いたい・幸せになって欲しい存在は、人間にとって大きな支えになる。
私はたぶん自己犠牲の考えが強い。だからこそ、推しがいることで生きていく意味を感じている。
なんだか、危ういような生き方に聞こえるかもしれない。
推しのいない生活を少しだけ過ごしたことがあるが、常にマイナスの感情に押しつぶされそうになっていた。推しのいる生活は、私の人生歩み方なのかもしれない。
推す対象はきっと変わっていくのだろうけれど、そのスタンスはきっと変わらない。
どうしようもない思いを抱えて生きている人、"推し"を探してみるのはどうだろうか?